現職で2年経つこともあり、最近たまたまエージェントが紹介してくれた求人に、久々にキャリアの整理がてら応募してみた。
するとありがたいことに2次、3次と選考をすり抜け、あっという間に先方のグループトップとの最終面接に辿りついてしまった。
とある業界で売上トップ、高いブランド力を持つ企業である。先方からこれまでの経験とスキルに対して非常に高い評価を頂けているようで、待遇も、現職から大幅にアップが見込めそうだ。
某社を短期離職した数年前、中小企業ですら書類が通らず苦労した時とはえらい違いである。
もしもオファーを頂けそうなら迷わず決断してもいいくらいのものだが、自分の胸に少し引っかかるものがあった。
いま、その会社に転職すれば、おそらく転居も含めて少なくとも5年ほどはコミットすることになるだろう。
お前は自分でビジネスをやりたかったんじゃないのか?
それに、まだ現職でもやりたかったことがあるんじゃないのか?と。
数日間それで逡巡していたのだが、私の結論は『自分の人生を自分で決める必要はあるのか』ということだ。
つまり、『他者から1番評価される、期待をされる場所で、さらに応えるべく頑張ることこそが、私のようなごく普通の人間が善く生きることに繋がるのではないか』ということだ。
他人の期待に応えるために生きる、それはある意味流されているということなのかもしれない。
しかし、人間は誰もが他者に期待し、期待され、そして実際に助け合いながら生きている。
ならば、その流れの中で自分が周りのために、社会のためにできることを精一杯やるのことが間違っているわけがない。
自分のやりたいことを追求して、起業や転職することはもちろん素晴らしい。
そこに、他者の期待に応える思いが同時にあることが、より大きな幸せにつながるのではないだろうか。
今その会社は私という人間に非常に良い高い期待をかけてくれている。それを金額と待遇で示してくれたならば、それに応えに行く選択もありなのだろうと思うのだった。